2010年8月20日金曜日

仏頭部のすげ替えと知財高裁(著作権)

今回取り上げる知財高裁は,

知財高裁平成22年3月25日判決(平成21年(ネ)第10047号著作権侵害差止等請求控訴事件)

です。

法律的にも深いところはあるのですが,

寺がした仏頭部のすげ替えが,著作権法違反とされた事案です。


信仰とは何だ?
観音菩薩像,特に十一面観音に求めるべきものは何か?

という問題が透けてみえる裁判例と思いました。



「(2) 要件論---要件充足性(法20条の同一性保持権侵害,法113条6項の著作者人格権のみなし侵害,及び法60条所定の要件該当性)について」

「ア改変の有無について」
「本件原観音像は,木彫十一面観音菩薩立像であって,11体の化仏が付された仏頭部,体部(躯体部),両手,光背及び台座から構成されているところ,11体の化仏が付されたその仏頭部は,本件原観音像においてRの思想又は感情を表現した創作的部分であるといえる。
そうすると,本件原観音像の仏頭部の眼差しを修正する目的で行われたものであるとしても,被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は,本件原観音像の創作的部分に改変を加えたものであると認められる。」

「イ法20条1項所定のRの「意に反する・・・改変」の該当性,及び法60条ただし書き所定のRの「意を害しないと認められる場合」の該当性について」
「そうすると,Rが,本件原観音像について,どのような感想を抱いていたかはさておき,本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は,法20条1項所定のRの「意に反する・・・改変」と推認するのが相当であり,また法60条所定の「意を害しないと認められる場合」に該当するとまでは認めることはできず,この点に関する被告らの上記主張は,いずれも採用することができない。」


「ウ 法20条2項4号所定の「やむを得ないと認められる改変」の該当性について」
「被告光源寺が,観音像の眼差しを半眼下向きとし,慈悲深い表情とすることが,信仰の対象としてふさわしいと判断したことが合理的であったとしても,そのような目的を実現するためには,観音像の仏頭をすげ替える方法のみならず,例えば,観音像全体を作り替える方法等も選択肢として考えられるところ,本件全証拠によっても,そのような代替方法と比較して,被告らが現実に選択した本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為が,唯一の方法であって,やむを得ない方法であったとの点が,具体的に立証されているとまではいえない。したがって,観音像の眼差しを修正し,慈悲深い表情に変えるとの目的で,被告らが実施した本件
原観音像の仏頭部のすげ替え行為は,法20条2項4号所定の「やむを得ないと認められる改変」のための方法に当たるということはできない。」

「エ 法113条6項(著作者人格権のみなし侵害)所定の「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」の該当性について

Rは,平成5年5月18日に執り行われた開眼法要(開眼落慶法要)の際に,本件原観音像の制作者として紹介され,出席者の前で挨拶していること(甲71),平成7年6月15日発行の宗教工芸新聞(甲1)の記事において,「仏師R師」との見出しの下に,Rが本件原観音像の制作者として紹介され,「東京駒込光源寺大観音(R)」と付された,本件原観音像の写真が掲載されていること(前記1(5)イ)からすれば,Rが死亡した平成11年9月28日から10年以上が経過した本件口頭弁論終結日(平成21年12月21日)の時点においてもなお,光源寺の檀家,信者や仏師等仏像彫刻に携わる者の間において,Rは「駒込大観音」を制作した仏師として知られているものと推認することができること等の事実を総合すれば,被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は,Rが社会から受ける客観的な評価に影響を来す行為である。
したがって,被告らによる本件原観音像の仏頭部のすげ替え行為は,法113条6項所定の,「(著作者であるRが生存しているとしたならば,)著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行
為」に該当するといえる。」




はっきりした規範は出さず,事実認定で押し進めていく,

事実認定重視の手法
(ただし,20条2項4号は,規範定立です。取り上げる意味あります)

ですが,上のように判示されています。



頭だけすげ替えたら,こういう紛争は起こりますね。


仏頭部というのは,割と出にくい改変かもしれませんが,
ネット時代を考えると,
割とマイナー条文だったと思われるものが,あがってくることも多いかと思います。


著作者人格権侵害は,名誉毀損によく似ています。
あまりお金にはならないとはいえますが,敢えてしなければならない場面もあります。




事実としては,面白いのが,

「②しかし,Rが制作した本件原観音像は,本件観音堂に安置された
状態では,拝観者が見上げることになり,対面した拝観者に対しては,
驚いたような表情,又は睨みつけるような表情となったこと,③被告光
源寺現住職のAは,そのような表情について違和感を感じて」


と住職も含む者が,観音像に,慈悲深さの強調を求めているのに対して,


知財高裁は,余り配慮していませんが,

仏師(遺族)の方が,

「長谷寺式十一面観音像の様式や特徴(「堂々とした」,「威厳」等)を踏まえて構想及び設計された本件原観音像の像容の特質(「天平期(奈良時代後期)の観音像のような立体感ある力強いもの」ないし「単なる慈悲深さだけではなく,観る者に威厳と力強さを感じさせる像容。以下同じ。)への配慮を欠く内容となっていること」


言っていることでしょうか。


十一面観音ですから…
で済まなかったんですね。


私なら,納得しちゃいそうですけど。


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